凡人東大生が語る受験勉強のモチベーションや息抜きの話

 

この記事では、僕がどのようなモチベーションで受験に臨み受験勉強を続けていたか、などのメンタル面の話や息抜き等の話について書こうと思う。

(勉強法などの話については以下の記事に書きました)

todairyunen.hatenablog.com


受験勉強のモチベーションについて、僕の場合はコンプレックスが根底にあったと言えるだろう。

以前の記事でも書いたが、僕はコミュ障でこれといった趣味も無い人間である。

todairyunen.hatenablog.com

僕は中高一貫の男子校に通っていたが、はっきりと「友達」と言える人間は中高時代一人もいなかった。

一緒にいることが多かった人や時々一緒に帰る人などは多少はいたが、彼らとの思い出はほとんど無く、当時何を話していたのかも全く忘れてしまった。

一つ言えるのは、僕が彼らに心を許していなかったということだ。

彼らのことが好きになれなかった、ということでは無く僕が自己開示をすることが苦手であったことが原因であったと思う。

自分のことを全然話さない(話せない)ので他人と心を通じ合うことができず、表層的な関係に終わり仲良くなることが出来なかった。

そもそも表層的にでも会話する人がまず少なかった。

 

人と仲良くなることができず、ならば一人でも打ち込めるものがあれば良いがそれも無かった。

ただ漫然と日々を過ごしていて、何も誇るものが無かった。休日に誰かと一緒に遊ぶということもほとんど無かったし、中身のない毎日だった。

中3の時、そんな僕のコンプレックスを刺激させるような出来事が起きた。

 

「お前っていつもぼっちで何も喋らないし、成績もクソ悪いし生きてて楽しいの?」

というようなことを言われたのである。

前の記事で書いたが、当時の僕は英語の実力試験で235人中220番くらいになるほど成績が悪かった。この発言を聞いた時は、「さすがに成績が悪すぎるから、勉強を頑張ってみよう」とぼちぼち自分で計画を立てながら勉強を開始していた時期であった。

その発言をした人は、学年でもまあまあ上位の成績の人だった。僕はひそかにその人に成績で勝ってやろうという気持ちを抱いたのである。

(結果的に彼とは成績の上で互角程度になり、共に現役で東大に合格した)

 

もちろん、これはきっかけの話であり彼に勝つために大学受験にまで至る勉強を頑張っていたわけではない。

僕の勉強のモチベーションは、上に書いたようなコンプレックスを掻き消すということであったと思う。

何もない自分、誇るものがない自分にせめて「勉強はできる」ということで救いを求めたかったのである。

 

中3から高2にかけて成績は右肩上がりで上昇し続けた。

偏差値や校内での順位は高2の終わり頃に最高潮を迎えることになる。

偏差値が上がれば上がるほど、自分の中で劣等感は消え失せ満たされていった。「成績が上がっていること」が僕の勉強へのモチベーションを支えるもう一つの要因であった。

こうやって書いてみると「中3からガリ勉してた」ようにしか見えないが、当時の僕はそこまでガリ勉してるという認識はなかった。純粋に頑張った結果が数字に表れるのが嬉しく、やりたいから勉強をやっていただけであった。勉強に飽きて全然やらないような時期もあった。だが、トータルで見れば受験生でもない中3~高2の時期の勉強は人より多かったのだろうと思うし、客観的に見ればガリ勉してたとしか思えないだろう。

とにかく、この時期の勉強があったからこそ東大に合格できたというのは間違いないだろう。

 

高3になりいよいよ受験生として勉強量を増やすようになったが、ここからは苦しむことが多かった。

もちろん、受験生として出来る限りの時間を勉強に費やすようになったことが大きな要因だが、「偏差値や順位が上がらなくなったこと」も大きかった。

高2の終わり頃に最高潮だった僕の偏差値は停滞し、どちらかと言えばやや下降していた。

勉強を頑張れば偏差値が上がることが当たり前だった僕にとってはなかなか苦しかった。勉強量を増やしたにも関わらず、(相対的な)成績は下降しているからだ。

相対的な順位、偏差値が下降した要因としては次のようなものが挙げられるだろう。

・周りの人達が受験生として勉強を頑張り出したこと

・模試においては浪人生が参加することも多くなり、得てして浪人生は現役生よりもできるため母集団のレベルが上がった

・僕は塾には通わず、参考書を買ってきて自学自習するのが勉強のメインだったが、自学自習の勉強では難関レベルに対応しにくい、あるいは東大にターゲットを絞った対策がしにくかった

(この問題点に気づいた僕は、「東大にターゲットを絞った難関レベルの勉強をするため」塾通いがある程度は必要と感じ、英語・数学・世界史で塾に通い始めた。英語は面倒になって途中で辞めたが)

 

それにも関わらず、なぜ勉強のモチベーションを維持し受験勉強を続けられたのか?

最も大きな理由は、僕が東大に異様なこだわりがあったからだろう。

当時の僕は正直早慶では負けだと思っていた。

もちろんこれは早慶に行く人が「負け組」ということを指すのではなく、東大に落ち早慶に進学したら「自分に負けた」と感じていたからだ。

全力を出して受験勉強をすれば、必ず東大に合格できると信じていたからだ。

 

東大にいって何かやりたいことがあったわけではない。

僕の根底には依然としてコンプレックスで満ち溢れていた。勉強以外のことについてはまるで駄目であったからだ。だから、せめて勉強だけは東大に合格して他人から認められる実績を作らなければならないと思っていた。

また、自分自身のプライドという問題においても東大に合格できなければ、本当に何もない空っぽな人間だと認めざるを得ず、プライドの崩壊は避けられなかったからだ。

 

印象的な出来事として体育祭がある。

僕の通っていた学校では体育祭が盛んで、高3生は下の学年を指導する立場として体育祭に全力で打ち込むという風潮があった。

僕はもともと体育祭はあまり好きではなかったが、高3になってこの体育祭を非常に面倒に感じていた。

自分はコミュ障だし、学校に気を許せる親しい友人もいないし、もうこのような青春イベントはどうでもいいと思っていた。暑苦しいのは鬱陶しいだけであった。

それよりも 勉強が最優先で、体育祭に東大合格の邪魔はさせないなどと思っていた。

高3の人は皆何らかの役職につかねばならないのだが、僕は「ヘルパー」という最も楽な役職を希望し、無事「ヘルパー」になった。

最も楽な役職といえばまだ聞こえはいいが、「ヘルパー」は実質的に学内のヒエラルキースクールカースト)で最底辺の人間がやるものというような役職だった。

先輩として下の学年の指導をするわけではなく、足りない所に入る駒としての役割だった。確かに楽で、受験勉強の妨げにはあまりならなかった。しかし、周囲の人が体育祭で目一杯に楽しみ、体育祭終了後に切り替えて全力で勉強に打ち込んでいく中、自分はエンジンをふかし切れず中途半端になってしまったのだった。

 

正直、コンプレックスを原動力にしたモチベーションだけでは受験勉強は続かなかっただろう。当時の僕は「息抜き」が必要だった。

 

僕の「息抜き」はアイドルだった。

高2の頃にとある地下アイドルにハマるようになった。まあ、ハマっていたとはいってもそこまで熱烈なオタクというわけではなく、お金もないので無銭のライブを中心として時々現場に足を運び、毎日ブログやツイッターをチェックするという程度だったが、それでも僕の中では大きな出来事だった。

そこのグループが高2の3月(高3になる直前)の時、活動休止になり僕自身も受験生として勉強に集中しなければと思ったため在宅オタにシフトしたが、依然としてアイドルのブログやらツイッターをチェックすることは日常と化していた。

毎日、一日の勉強が終了した夜中をアイドル関連のネットサーフィンする時間と定め、ほぼ欠かさずにやっていた。

この時間が唯一の心安らぐ時間であり、この「息抜き」があるおかげでメンタルを保っていたという面はあると思う。

このアイドルの話については、また独立した記事に詳しく書こうかと思う。

 

全体として、僕の受験生活は苦しく感じることもあったが、基本的には充実を感じていた。

それまでの人生の中で全力で何かに取り組むという経験はなく、はじめて毎日継続して努力するということができたため、そのこと自体に達成感があったからである。

ただ、ここで毎日頑張って充実感を感じていたことが、東大合格後燃え尽き症候群と化してしまった原因になってしまった。

必ずしも偏差値の高い大学に合格することが幸せに繋がるわけではない、ということは最後に記しておこう。

 

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