東大で2回も留年した話(中編)

 

前の記事「東大に2回も留年した話(前編)」で留年に繋がる要素を大体洗い出せたと思う。

todairyunen.hatenablog.com

まとめると、

1.僕が「コミュ障」「ぼっち」だったこと

→出席のある必修の授業を除いて、僕があまり大学の授業に出なくなる要因になった。

「ぼっち」でいることは大学に通う気力やモチベーションの低下に繋がった。

 

2.受験後は目標を喪失し、燃え尽き症候群になり勉強へのモチベーションが著しく低下した

→受験勉強に耐えられたのは「東大合格という高い目標を掲げ、頑張る」ことに充実を感じていたし、「受験勉強の戦略をたて、勉強面の課題を乗り越えていこうとすることはゲーム感覚に近かった」からである。

大学入学後は目標を喪失していたし、「東大に合格するためには〇〇を〇点上げなければならない。そのためには・・・」といった自分の戦略に基づく勉強ではなく、単に授業の内容を真面目にこなすという勉強にモチベーションを保てなかった。

 

3.シケプリだけで何とかするスタイルの試験対策法を確立してしまった

前期教養はそれでもいけたのだが、経済学部に進んでからそもそもクラスというものがなくなり、ぼっちであってもクラスに属していればシケプリを入手でき試験対策ができるという状態ではなくなってしまった。

また前期教養と比べ内容が重厚になるため、直前期に何とかすれば良いというスタイルでは対応できなくなった。授業に出なかったり、授業の内容を復習しないでいると遅れを取り、どこから手をつけて良いかわからなくなった。

 

とまあ、こんな感じである。

この後、時系列に沿って詳しく書こうと思う。

 

詳しく書くといったが、実はあまり書くことはない。

僕は一人でいる時間のほとんどをネットサーフィン等の非生産的なことに使っていて、正直書くべき内容のものがあまりないし、具体的に何をしていたかですらあまり覚えていないのだ。

そうとは言っても、現在入学してから3年4ヵ月の4回生であり、いくら自堕落な生活に陥っていたとはいっても何もしていなかったわけではない。(それが生産的であるかは別にして)

 

留年前のことについてもう少し語ろう。

いちばん辛かったのがALESAの授業である。

ALESAは外国人の先生による英語の授業で、英語で話し合ったりしないといけない。

元々、英語はあまり得意ではなく英語力では東大最低クラスでありコミュ障の僕は「英語」と「コミュニケーション」というダブルパンチをくらってどうしようもなくなっていた。

ALESAの授業が嫌でしょうがなかった僕は、なんと自分が発表しなければならない授業の回に欠席したことがあるくらいである。

なお、翌週には発表をしたし、先週は体調不良でしたということで何とかなった。

ALESAはギリギリ可で切り抜けた。

 

クラスでぼっち状態は続いていたが、サークルの方では徐々になじみつつあった。

テニサーは飲みさえ乗り越えられれば何とかある程度馴染められるのである。

飲みは何も考えず、ただ飲めばよいのだ。

飲んでしまえば、テニサーのアホみたいなわけわからんテンションも楽しく思えるようになるし、どうにでもなるのだ。

結局、コミュ障はほとんど改善できなかったしサークルの人達と深い付き合いはしていないから本当に馴染んだかと言われると微妙だが、これにより「真性ぼっち」は回避した。今回はサークルの話は主テーマでないのでこのくらいにするが、後で記事を書こうかとは思う。

 

さて、必修の授業はALESAも含めてギリギリで単位をとったし、総合科目など必修でない授業もシケプリを使って乗り越えた。

進振り参加まではごく普通だった、ということもできる。

 

東大生や東大出身でない方は進振り(進学振り分け)について知らない方が大半だと思うので軽く解説しておこう。

東大では2年生まで全員が教養学部に所属することになっている。そこから2年生の夏までの成績をもとに3年生から所属する学部が決定されることになっている。

この制度は「リベラルアーツ教育」とやらのためで、要するに大学入学後いきなり専門課程に入るのではなく様々な分野の学問を学んで教養を身に着け、その上で自分の進む専門分野を決定してね、みたいな意図によるものだ。

 

自分の場合は進振り前は教養学部文科2類に属していた。この学科の大半は経済学部へと進学する。経済学部には文科2類の枠が大きいためだ。

自分も例に漏れず経済学部への進学を決めていた。

経済学部への進学はこの年の進振りで文科2類の枠は68点くらいあれば進学できて、自分は71点くらいだったため経済学部への内定が決まった。

 

さて、ちょっと話は変わるが留年の説明をするのに書いておいた方が良いことがあるので説明する。僕は一人でいる時ネットサーフィン等をしていたと書いたと思うが、この頃ハマっているものがあった。

それは「ネトウヨ活動」である。(現在の僕は政治的には無党派で中道なのではないかと思う)

 

結局、リアルでの活動は充実しないからネットで憂さ晴らしをしていたのだ。

僕が最初に経済学部への進路選択をした2015年の夏ごろ、政治の世界では安保法案を巡って吹き荒れていた。

ネトウヨだった僕は当然、安保法案賛成派であり、ネトウヨ活動用のTwitterアカウントを作って色々発言していた。

発言していたといっても、きちんとした法律知識があるわけではないので、僕のツイートは安保法案の中身に関することよりも反対派勢力の「サヨク」を叩くものが多かった。

当時はSEALDsが安保法案の反対運動を活発に行っていた。僕のツイートはSEALDsを叩く内容が多くなった。

SEALDsを叩いているとフォロワーが増えたり、リツイートがいっぱい貰えたりした。これがリアルでは充実できない僕の承認欲求を刺激し、のめり込んだ原因だと思う。

 

2年生の秋、経済学部へ進学(正確には経済学部に内定という形だが、この時期から経済学部の授業が始まる)した僕だが、経済学部は人数が多く大教室で授業を行い出席がなかったのであまり授業に行かなくなってしまった。

確かに授業に行かないことによる不安もあったが、「ぼっち」で授業を受け続ける苦痛の方が大きかったし、今まで何とかなってきた経験があるので甘くみていたのだ。

 

しかし、経済学部に進んでからはクラスというものがなく、今までのように勝手に回ってくるシケプリでどうにかするということができなくなってしまった。

さらに言えば、ぼっちの自分には情報が来ない。つまり、いつ小テストがあるとかの情報も把握できなくなっていた。

授業の内容も前期教養に比べればはるかに難しい。

僕は誰かに助けを求めなければならない状況に陥っていたが、コミュ障ぼっちの自分にはどうすることも出来なかったのである。むしろ、教室内で昔のクラスの人など知り合いを見かけたら、なるべく目を合わせないようにしていた。

 

そんな折、僕はネットの世界で現実逃避をしていた

SEALDsを叩けばリツイートがいっぱい貰える。賛同のコメントもたくさん貰える。

僕は授業に出た時でも、大教室の後部座席でTwitterばかり見ていた。

 

いつしか、僕は不安で仕方がなくなった。現実逃避をするためにより長い時間Twitterをするようになった。完全に悪循環である。

僕は授業についていくために、何をどこから勉強すればよいかもわからなくなっていた。勉強や授業について考えれば考えるほど鬱になるので、なるべく考えないようにしていた。

 

12月になるといよいよ試験のことを意識せざるを得なくなっていた。

どうしようもなかった。教科書を開いてみると勉強しようという意欲よりも猛烈な不安に襲われ、勉強できる状態ではなかった。さらに教科書がアテにならないプリント主体の授業などは、授業に出ていないと対策のしようがなかった。

 

僕はこのまま経済学部でやっていくのは無理だと悟り、留年してもう1回進振りに参加し学部を変えようと考えた。

この頃からサークルにも行かなくなった。サークルにいく余裕のある精神状態ではなかったからだ。サークルでは2年生になると幹部になり、各々仕事を任せられる。僕は会計の役職についていたが、ほっぽり出し他の人に仕事を押し付ける形になってしまった。(会計は僕を含めて二人いたので、もう一人が全部担うことになった)

 

結局、試験を受けることすらしなかった。

1回目の留年が決定した

 

東大で2回も留年した話(後編)に続く

todairyunen.hatenablog.com

 

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