東大で2回も留年した話(前編)

 

はじめまして。

 

なんとなくブログを始めてみた。

僕は現在、東京大学の2年生であり、4回生だ。つまり、2回の留年を経験しているというわけだ。

長くなるかもしれないが、2回留年した話を語ろう。

 

1年生の時、僕は普通の学生だった。ここでいう「普通」とは「取らなければならない単位はきちんと取得し、ちゃんと大学に通っていた」という意味だ。

しかし、この頃から後の留年に繋がる要素はいくつかあった。

 

まず、僕がクラスの中で「ぼっち」だったという点。僕はいわゆる「コミュ障」にカテゴライズされる人間であり、昔から人付き合いが苦手だった。別に人が嫌いだったり、対人恐怖を覚えたりするわけではない。基本的に何を話したらよいのかがわからないのだ。

趣味といえるものがないのも話すことがない原因だろう。音楽とか芸能には関心が持てない。オタクっぽい趣味を持てばよかったかもしれない。しかし、オタクグループのようなものにすら入れなかった「ぼっち」の自分はオタク趣味にはまることもなかった。

要するに中身がないのである。

 

いちばん聞かれると困る質問が「お前、普段何をやっているの」だ。記憶を遡る限り、この質問にまともに答えられた試しがない。

「寝てるかな?・・・」とか「ネットサーフィンとか・・・」と言って後は相手が自分に関心がなくなるまで待つばかりだ。

こんな態度では友達ができるわけないだろう。

 

こんな僕でも熱中したものはあった。それは「受験勉強」である。

中身がなく、つまらない人間だと自覚していた僕は何か誇れるものが欲しかった。

東大という肩書きは、空っぽな自分を覆い隠せるだけのアクセサリーだと思っていたのだ。

 

毎年、東大に何十人も受かるような進学校に通っていたというのも「東大に行こう」と決意した大きな要因である。

高1くらいの時、学年主任が「やりたいことがないなら東大に行け」と言っていた。

この頃から東大を意識し始め、高2の秋くらいに「受験生宣言」をして東大合格に向け本格的に受験勉強を開始することを決意した。

(なお、「受験生宣言」とはだれか人前で宣言したものではなく自分の心の中で勝手に決意しただけの話だ)

 

受験勉強を開始した時の僕は実に生き生きしていた。

「やっと目標を見つけた」と思った。実際、勉強すればするほど成績が上がるのだから愉快だった。

しかし、勉強すること自体が好きなわけではなかったのだ。東大という高い目標を設定し、それを達成するための勉強戦略を考え、実行に移した結果学力がグングン上昇するのが爽快であっただけだ。

むしろ受験勉強は「ゲーム感覚」だった。

壁にぶつかったら、どうやってこれを乗り越えられるかを考え、「勉強」という名のレベル上げ作業をする。そんな感覚だった。

 

これは受験勉強について語る記事ではない。

だから、受験勉強についての話題はこのくらいにするが、これだけで受験勉強終了後の僕がどのような状態になったかはご理解頂けるだろう。

( 受験勉強のエピソード等はこちら↓)

todairyunen.hatenablog.com

東大合格発表の日、自分の番号を見つけた僕は嬉しかったのだが、同時に冷めた気持ちも存在していた。

この日は「あれ、なんで気持ちが冷めているんだろう」と自分でも理由が分からなかったが、数日もすれば理由ははっきりした。

 

一言でいえば燃え尽き症候群である。

東大に合格してしまったら、その後これから何をしてよいのかわからなくなってしまったのだ。元々、中身がなく空っぽだった自分は東大合格という目標物を失うと突如として宙に投げ出されることになった。

このため、東大に受かった後の僕に勉強に対するモチベーションは著しく低下した。

これも留年に繋がる重要な要素である。

 

同級生などは大学入学までの空いた期間に、友人らと遊んだり旅行に行ったりして最後の高校生活を楽しんでいた。

あるいは、SNSなどを通じながら東大に合格した者同士で交流しているようでもあった。

しかし、僕は何もできなかった。家でぐうたらしているばかりであった。

そうしているうちに気持ちが沈んでいき、予想通り大学入学後上手いスタートを切ることはできなかった。

入学式の日、クラス写真というものを撮るのだが、僕はその写真からも逃げてしまった。

(東大の入学式は、オリ合宿などで既にクラスの交流が終わった後に行われる。オリ合宿には参加したが、やはり溶け込むことはできずこの段階でクラスの人達を避けようとする気持ちが生まれていた)

 

僕は授業が終わったら速攻で図書館に行き、次の授業まで時間をつぶすというのが当たり前になっていた。

図書館に行っても、勉強をしたり本を読んでいたりしているわけではなかった。

スマホをいじったり、寝たりなど非生産的な時間を過ごしていた。

 

しかし、僕はこのままで良いとは思っていなかった。なんとか「まともな」大学生活に修正しようという気持ちはあった。

クラスでは上手く溶け込むことはできなかったが、その他の集団ならやっていけるかもしれない。僕はサークルを探していた。

 

僕はテニスサークルに入ろうとしていた。

一般にテニサーは僕のような「コミュ障」とか「ぼっち」には相容れないだろう。実際にそうだとは思う。

しかし、僕は中学・高校時代にテニスをやっていたというのと(幽霊部員ではあったが・・・)、あえてテニスサークルのような環境に身を置けばコミュ障が改善されるのではないかという淡い期待を持っており、テニスサークルに入りたいと思っていた。

 

テニサーに入りたかった理由は、あともう一つある。隠してないでさっさと言ってしまったの方が良いだろう。

テニサーにはかわいい女の子がたくさんいるからだ。

僕は中高一貫の男子校出身だ。さらに、ここまでの文章を読めば概ね察してもらえるだろう。

わかりきっていることに説明は不要である。次に進もう。

 

東大のテニスサークルの新歓は「セレク」という制度がある。

テニスサークルはけっこう入部希望者が多かったりするので、「テニスの上手い奴」と「ノリが良い奴」を選んで入部させるためにセレクションを行うのだ。

 

僕はセレクションというものを受けたが、落ちまくった。

幽霊部員であったとはいえ、中高テニスをしていたし新入生の中では比較的テニスができる方だっただろう。しかし、テニサーというものは基本的にはコミュ障お断りであるようだった。

それでも、入部を許可してくれたサークルもあった。僕はそこに入ることになった。

 

いきなり話が変わってしまうようだが僕はその頃右目が白内障だった。

白内障に気づいたのは、受験が終了した後、眼鏡を作りにいった時のことだ。右目の視力が測定できないと言われ、眼科にいったところ白内障と判明した。

片目のみだったので、受験の時は気づかなかったし、白内障のせいで受験に支障が出ることもなかった。そのため、白内障だと判明したのが受験終了後で良かったとは思う。

それでも、白内障という事実は受験後および東大入学後の僕の気持ちを暗くさせるのに後押しした。

4月の終わりに白内障の手術をし、無事右目も見えるようになったのであるが、医者から目の保全のため手術後1ヵ月は運動しないように言われた。

 

せっかくテニスサークルに入ったにも関わらず、いきなり初っ端の1ヵ月テニスが出来なくなってしまったのだ。

普通なら辞めていたかもしれない。しかし、偶然にも入ったサークルには高校の同級生が2人いたのだ。そのうち一人は高校時代にもそれなりに話したことのある人だった(なお、彼とは示し合わせてサークルに入ったわけではない。本当に偶然である)

彼らのおかげで僕は入ったサークルを辞めずに済んだと思われる。

 

さて、クラスの方では僕は孤立したままであった。サークルの方は白内障の手術後1ヵ月、すなわち5月の終わりまでほとんど活動に参加できなかった。

僕は正真正銘「大学ぼっち」になってしまった。

 

必修の授業にはもちろん出た。それ以外の授業には出なくなっていったしかし、これは僕に特有の現象ではない。東大の前期課程ではクラスでシケプリというものを作るので、それを見れば授業に出なくても最低限単位を取ることはできたからだ。

他の人は授業に出ない代わりに遊んだり、バイトをしていたかもしれない。僕はというと遊び相手がいなかったし、バイトをする気にもならなかった。ただ授業に出ないだけで、その時間はスマホをいじったり寝たりなど非生産的な時間を過ごしていた。

 

これは後の留年に繋がる決定的な要素だった。

クラスでシケプリが作られるうちは、授業に出ないでもそれを使って試験対策をすることができた。クラスが無くなってしまった時、僕は一人で試験対策をすることができなくなってしまったのだ。何から手をつけてよいかすら分からなくなかった。

 

さて、文字数が3000字を超えてきた。ここまでで留年に繋がる要素は解説できたと思う。これ以降の話は次の記事に譲ろう。

 東大で2回も留年した話(中編)に続く ↓

todairyunen.hatenablog.com

 

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