「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話を打破する方法

 

前の記事で、

「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話が皆を不幸にしている

ことを説明した。

todairyunen.hatenablog.com

 

この記事では方法論が現実的・非現実的かはさておいて、「レールから外れたら人生終了」というような雰囲気・風潮をどうやったら打破できるかを考えていきたい。

 

①「新卒一括採用」をやめてしまう

これが一番話が早いだろう。

新卒一括採用という制度が「教育から就職」という一本道のレールを形作っているからだ。

新卒で大量に採用するということは、中途採用の門戸は狭くなる。

また新卒で就職できず、あぶれてしまった人達は行き場をなくしてしまう。

 

要するに、「レール」からドロップアウトしてしまった人達や職を失った人を非常に厳しい戦いに追い込むのが新卒一括採用という制度だろう。

 

また、企業としてもスキルのない新卒を大量に採用するというのは

「教育して、その人をスキルのある人材へ育て上げ、そのままずっと働いてもらう」ということを前提にしているということだろう。

だから、一度新卒で就職すれば確かに雇用はある程度は守ってもらえる。

しかし、裏を返せば企業の用意した「レール」に乗っていくことを半ば強いられるということでもあるのだ。

 

前の記事

「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話が皆を不幸にしている

では、この慣習は「レール」に乗っている人をも不幸にしていると述べた。

新卒一括採用と、終身雇用を前提としてガチガチの雇用規制で守る。その代わりに中途での就職をほとんど受け付けない。

というのは、結局「皆を不幸にする制度」だと僕は思ってしまうのだ。

 

確かに新卒一括採用があれば、スキルのない若者は有利だ。

しかし、雇用に流動性のある社会の方が「希望」を持ちやすく「個人の自由」を尊重しやすくなり、幸福に繋がるのではないかと思うのだ。

www.huffingtonpost.jp

今年の幸福度ランキング。日本は51位と、経済大国にしては低い。

新卒一括採用の慣行のないアメリカやヨーロッパの国々と比べても低いとわかるだろう。

 

さて、「新卒一括採用」をやめるということの実現可能性だが、現状では低そうだ。

しかし、日本の新卒一括採用は世界では異例の制度であり、他の国々では違う形を取っているのだから、やろうと思えばすぐに出来るはずだ。

世論が「新卒一括採用廃止」に傾けばすぐにでも廃止できるだろう。

 

ベーシックインカムを導入する

今度はまったく考え方を変えてみる。

「そもそもセーフティネットさえあれば、レールから外れても問題ないじゃん」

というわけだ。

 

現状でも生活保護制度はある。

しかし、生活保護をもらうには審査に通らねばならない。

行政判断で「お前働けるじゃん」となれば、貰うことができないのだ。

ここで行き詰まり生活保護は貰えない、しかし就職はできない(できたとしてもブラックで心身ともに削られていく)という絶望へ陥るわけだ。

この点、ベーシックインカムなら安心だ。働いている・働いていないに関わらず、そして貧乏・金持ちに関わらず、最低限の生活を送るのに必要なお金はいつでも受け取ることができるからだ。

 

生活保護制度の問題点をもう少し指摘しておきたい。

生活保護の受給は行政判断で決まる

→本当に必要な人が貰えない事例や不正受給の問題が起きる

②労働意欲を低下させる

生活保護制度は働けばその分受給額を減額されたり、打ち切られたりする。

働くことによって貰える額が減ったり、打ち切られたりするなら働かないで生活保護のぬるま湯につかりたいという人が多いはずだ。

こうして生活保護受給者の労働意欲は低下し、その状態を脱したいと思わなくなるので、生活保護受給者が年々増加する。

ベーシックインカムなら、収入の有無に関わらず一定額を貰えるからこの問題は起きない。

③プライドや尊厳を傷つける

生活保護を受給するには様々な申請書類を通さねばならない。

それは「自分は働けないし、どうしようもできないから、生活保護に頼るしかないんです」と必死でアピールするということだ。

自分が生活保護受給者だということがわかると社会的にも「どうしようもない奴」とか下手したら「税金泥棒」なんていう烙印を押される。

こうなるとプライドや尊厳が傷つくだろう。プライドや尊厳が傷ついたら、「そこから立ち上がろう」という気力もなくしてしまいかねない。

この点、ベーシックインカムは万人に平等なので、この問題が発生しないのだ。

 

さらに、これからの時代はAIに雇用が奪われると言われている。

技術的失業が大量発生し、露頭に迷う人が急増したら生活保護制度は破たんするだろう。

そうなったらベーシックインカムに切り替えるより他はない。

www.nikkei.com

 

ベーシックインカムの実現可能性だが、現状は低いというしかない。

実験をしたり部分的実施をした国などはあるが、制度として確立した国はないからだ。

さらに、ベーシックインカムは大きな抵抗勢力も予想されるため実現が難しい。

しかし、将来的には必要になる制度と思われる。

 

③正社員登用へ繋がるニート・無職のインターン制を作る

これは僕独自のアイデアだ。

新卒一括採用の廃止ではレールを無くしてしまうことで「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話を打破しようと考えた。

ベーシックインカムではセイフティネットを作ることで、これを打破しようとした。

今度のアイデアは「敗者復活制を作ることで、レールから外れても安心できるようにする」というものだ。

現状、インターンというと主に学生がやるものとなっている。これを「学生という制限をなくし、誰でもできるようにしてしまえ」というものだ。

 

現状、ニートになってしまうと正社員登用はかなり難しくなる。

そりゃそうだろう。ニートのようなリスクのある人材を雇いたいとは思わないはずだ。

現状のような面接のみの判断では、ニートには絶望的だ。

 

ニートインターンをさせることで、ニートを評価する様々な材料を持てるとしたらどうだろうか?

「やっぱりダメだ」という例も多いだろうが、「働かせてみたら意外と優秀だった」というニートもいるかもしれない。

また、一芸に秀でているニートもいるかもしれない。面接ではそういう人の可能性も奪われてしまいかねないのだ。

 

ニートには労働意欲がないからインターンなんてしないだろ、と思われる方もいるかもしれない。

しかし、フリーターになるくらいならニートでいいが、正社員になれるチャンスがあるなら働きたいと思う人もいると僕は考える。

 

とりあえず、どこかの企業でニートインターン募集をしてみたら面白いと思う。

ニートはゲームに強そうだから、ゲーム会社とかがやったらどうだろうか?

 

ニートインターン制が一般的になれば敗者復活のチャンスが広がるので「レールから外れたら人生終了」という神話が少しずつ壊れていくのではないかと思う。

実現可能性としては、新卒一括採用の廃止やベーシックインカムより高いかもしれないくらいだと思う。

 

 

他にもっといいアイデアがあったら、コメント等で教えて下さい。よろしくお願いいたします。

 

関連して「働き方」に関する提案です。

todairyunen.hatenablog.com

この記事では

・労働時間を短縮し生産性を上げよう

・一つの組織に頼って、それで終わりになってしまう働き方をやめよう。

週休3日制にして個人の自由時間を増やし、副業やスキルの修得などに充てることのできる時間を増やそう

ということを提案しています。こちらもどうぞ!

 

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東大に入ったものの、その後2回留年しレールを脱線しかけてます

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レールを脱線し、人生に行き詰まってしまった方への解決策①

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「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話が皆を不幸にしている

Twitterをしていたら、こんなまとめを見かけた。

togetter.com

 

とりあえず大学に行って、時期が来たら就職活動をする。適度な年齢になったら結婚する。そして、新卒で入った会社で定年まで働く。

 

こんな人生が「普通」であり、「理想」だと思っている人は多いのではないだろうか?

あるいは「理想」とまでは思っていなくても、知らず知らずのうちに上記のような人生を歩もうとしている人が多いかもしれない。

「いい学校に入って、いい大学に入って、いい会社に入る」

こんな言い回しもよく耳にする。

 

なぜ、このような価値観が生まれるかといえば、今の日本社会ではそれが最もリスクの低い生き方だと考えられているからだろう。

「大学を卒業したら、すぐにどこかの会社で働き始める」

というのがデフォルトになっていて、そのレールに沿っていないものは「落第者」と見なされるからだ。

 

だから、まず

①「レール」から外れた者は、落第者と見なされ社会から冷たく扱われがちなので、「不幸」になる可能性が高い

 

と言うことができるだろう。

この中で、より深刻なのは「レールから外れると不幸になる、人生終了する」と強く思い込んでいる人だ。

確かに、レールから外れると不幸になる可能性が高まるかもしれない。しかし、全員が全員不幸になるわけではない。

これはレールから外れても、その後逆転して成功者になる人もいるというだけの話ではない。

 

同じような人生を送っていても、「幸福だ」と考える人もいれば「不幸だ」と考える人もいるだろう。

つまり、成功者になれなくても、年収が低かったとしても自分の人生を「幸福だ」と捉えられる人なら紛れもなく幸福なのである。

ところが、「レールから外れると不幸になる、人生終了する」と思い込んでいる人は、いざ自分がレールから外れた時は間違いなく「不幸だ、人生終了だ」と思うだろう。

 

例として、就活自殺の問題がある。

就活自殺をするのは、就職活動に失敗した人達の中でも特に強く「レールから外れると不幸になる、人生終了する」と思い込んでいる人達だろう。

「レールから外れると人生終了」と思い込んでいる彼らは、新卒就職というレールから外れることで「人生終了」と思い込み、いくらでも可能性や選択肢があるはずの未来に絶望してしまい「自殺」という最悪の選択をしてしまうのだ。

 

就職活動に失敗した人だけではない。

就活に成功した人でも、その後入社した会社で上手くやっていけないと「レールから外れた(外れそうだ)」と思い絶望することになる。

昨年、高橋まつりさんという東大卒の美人女性が自殺した件は記憶に新しい。

あれはもちろん、電通長時間労働パワハラ・セクハラがいけないのだが、それにしてもなぜ彼女は自殺という最悪の選択をしなければならなかったのか?

 

普通に考えれば自殺という選択より電通を辞めるという選択の方がよいはずだ。

もちろん、彼女が冷静に考えることはできなくなってしまうような精神状態に追い込まれたというのは分かる。

しかし、彼女が「電通を辞めるという選択をしなかった(できなかった)」のは「レールから外れる(それも東大→電通という超エリートコースのレール)」ことの恐怖・絶望が大きかったためではないだろうか?

勝手な推測を書くのはよくないと思うが、もし彼女が「レールから外れたら人生終了」というような価値観・考え方をしていないとするなら、自殺しないで電通を辞めて新たな人生の選択に舵を取った可能性が高いと思う。

todairyunen.hatenablog.com

 

ここまでで、以下のようなことがわかる。

①「レール」から外れた者は、落第者と見なされ社会から冷たく扱われがちなので、「不幸」になる可能性が高い

①-A 「レールから外れると不幸になる、人生終了する」と思い込んでいる人がレールから外れるとほぼ確実に不幸になる。

①-B 「レールから外れると不幸になる、人生終了する」という思い込みのない人は、レールから外れても不幸にならないかもしれない(もちろん不幸になる可能性もある)

 

ここまで、「レールから外れた人」の例を考察した。

次に「レールから外れてない人」の例を考察しよう。

 

普通なら「レールから外れていない人は不幸にならない」と考えるかもしれない。

ところが僕は「レールから外れていない人でも、レールから外れたら人生終了する、と思い込むと不幸になりやすい」と考える。

 

なぜか?

「レールから外れていない」ということは言い方を変えれば「レールに必死にしがみついて生きている」ということができると思うからだ。

もちろん、仕事が楽しくてたまらないから結果としてレールから外れていないんだ、という人はあてはまらない。

しかし、多くの人は仕事にどこかしらの不満を持ちながら日々の労働をしているのではないか?

(まともに仕事したことない学生の僕がいうのもアレだが)

 

そうした人の中で「辛くなったらいつでも辞めればいい。レールから外れたら人生終了なんて嘘だから」と思っている人と、

「辛くなっても仕事は続けないといけない。なぜなら、レールから外れたら人生終了だからだ。辞めて再就職なんて難しい。無職になったら絶望だ」と思っている人を比較すると、日々の労働をする中でどちらがストレスを貯めやすかったり、不幸になりやすかったりするだろう?

どう考えても圧倒的後者ではないだろうか?

 

となると、

②「レールから外れていない人」の中でも「レールから外れると人生終了」と思い込んでいる人の方が不幸になりやすい

 

と言うことが出来そうな気がする。

 

ブラック企業なんかも「レールから外れたら人生終了」と思い込む人の心理を利用しているんだと思う。

劣悪な労働条件でも働かなきゃ、と思うのは「ブラック企業のような糞みたいなレールでもいいからしがみつかないと人生終了する」と思い込んでいるからだと思う。

つまり、

③「レールから外れると人生終了する」という人々の意識が、ブラック企業を生み出し日本を労働地獄へ追い込んでいる。

と言うことができるかもしれない。

 

また、こんな話がある。

www.onecareer.jp

 

日本では起業したがる人が少ないということはよく言われている話だ。

これも背景には日本人の安定志向があるだろう。

言い方を変えるなら「レールから外れたら人生終了」という神話である。

 

「レールから外れたら人生終了」という人々が共有する思い込みが起業家マインドを持たなくさせているのだ。

起業家マインドとはチャレンジ精神でもある。

そしてチャレンジ精神こそがイノベーションに繋がるのではないだろうか?

チャレンジ精神やイノベーションの少ない社会は停滞し、盛り上がりにかけ、不幸になりやすいなんてこともあり得るかもしれない。

 

話が飛躍しすぎの可能性もあるが、

④「レールから外れたら人生終了」というところから生まれた安定志向が、チャレンジ精神やイノベーションの減少に繋がり、ひいては社会の停滞や不幸の増大を招く

のではないかと個人的に思ったりする。

 

 

ここまでの内容をまとめよう。

まずはミクロ(個人単位)のお話

①「レール」から外れた者は、落第者と見なされ社会から冷たく扱われがちなので、「不幸」になる可能性が高い

①-A 「レールから外れると不幸になる、人生終了する」と思い込んでいる人がレールから外れるとほぼ確実に不幸になる。

①-B 「レールから外れると不幸になる、人生終了する」という思い込みのない人は、レールから外れても不幸にならないかもしれない(もちろん不幸になる可能性もある)

 

②「レールから外れていない人」の中でも「レールから外れると人生終了」と思い込んでいる人の方が不幸になりやすい

 

次にマクロ(社会全体)のお話

③「レールから外れると人生終了する」という人々の意識が、ブラック企業を生み出し日本を労働地獄へ追い込んでいる。

④「レールから外れたら人生終了」というところから生まれた安定志向が、チャレンジ精神やイノベーションの減少に繋がり、ひいては社会の停滞や不幸の増大を招く

 

となるのだ。

ここまで来れば記事タイトルの

「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話が皆を不幸にしている

という僕の主張が分かって頂けるだろう。

 

一刻も早く、「レールから外れたら外れたら人生終了」という神話を打破しなければならないと思う。

 

続き

「レールから外れたら人生終了」という日本に蔓延る神話を打破する方法

todairyunen.hatenablog.com

 

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東大に入ったものの、その後2回留年しレールを脱線しかけてます

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インターン落ちました

先週、2社でインターンの面接を受けていました。

 

タイトルの通りです、両方とも落ちました。

私は4回生ですが、2留しているため学年的には2年生なので、今年のインターンはビジネス経験を積むという意味でベンチャーの長期インターンを受けました。

留年については詳しくはこちらから

todairyunen.hatenablog.com

 

現在、あるAI関係のベンチャーインターンをしているのですが、そこでは週1のみのため、物足りないということもあり別の企業でもインターンしようと思ったのです。

(現在インターンしている会社はまだかなり小規模で、技術系の会社のため週4日は開発や研究をしています。文系の僕が関われるのは週1のみなのです)

 

僕が送ったエントリーシートの内容を紹介します。

きっと笑える(笑われる)と思います。

 

まず、学業についての項目です。

留年している僕は、かなり苦し紛れのことを書きました。

東京大学では前期課程(2年生まで)全員が教養学部に所属し、幅広い分野の学問を学ぶようになっています。私は文系ですが、文系ですが大学では数学や統計学、生物学等の理科系に該当する分野まで履修し文系的思考に捉われず幅広い発想力を持てるよう努めました。また、英語・スペイン語といった語学や経済学、心理学、法学、哲学などの授業も履修し世の中の出来事を理解し考えるための基礎となる教養の修得に努めました。

要するに、留年してまだ2年生であり、前期教養しか経験していないため、その内容を書いたわけです。

 

さらに、「学生時代に最も打ち込んだこと」の内容が相当ひねくれています。

恥ずかしながら、私には自信を持って打ち込んだといえるものはありません。その原因は、「私は将来何をしたいのか、どんな人間になりたいのか」という人生の核心にあたるところが不明瞭であり、明確な目標をもって打ち込みたいと思うものがなかったからです。したがって、私の課題は自分がやりたいことを探すために様々な経験を積むことにあります。とにかく行動に移すことが大事だと考えた私は今年の1月、家庭教師派遣の事業を始めていた友人のもとに訪れ、事業を手伝うことにしました。そこでは、webの文章作成や広告運用を任され徐々に自分の適性を理解できるようになりました。〇〇(現在インターン中の会社)でのインターンでは他社の方も含め様々な人と関わり合う中で、自分の中で今後の指針のようなものが芽生え始めました。私はこれからも行動を重ねることで、「やりたいこと」を確立しようと考えており、貴社でのインターンもその一環にしたいと考えています。

嘘でもいいから普通っぽい内容を書いた方がウケがいいのかもしれません。

しかし、僕は本当のことしか書きませんでした。

恥ずかしながら「学生時代に打ち込んだこと」なんてないのです。

 

留年については1社で聞かれました。

(もう1社の方では気づかれなかったのかな?)

 

「経済学部は合わず、学部を変えるために留年しました」

という1回分の留年理由しか話していないのですが、面接官はうんうんと頷いてそれで終わりました。

 

コミュ障ですが、面接ではある程度は喋れたかと思います。(普通の人と比べたら全然喋れてないとは思いますが)

なんというか、日常会話のようなものは何を話せばよいかわからず何も喋れないのですが、ある程度喋る内容が決まっていれば喋れるようです。

 

面接では緊張しないようにするため

「へっ、余裕だぜ w w w 、受かるのは当然だが面接はしなきゃいけないので、仕方なく来てるだけ w w w」

みたいなメンタリティで臨むことにしたのですが、これが「態度悪そう」とか「偉そう」に見えた可能性はあります。

 

面接の中で困った質問が「あなたは人が好きですか?」

という質問です。

 

僕は人は嫌いではありません。

以前はあまり人と交流したくない・・・と思っていたこともありますが、今は「結局、人と関わらなければ一生幸せになることはできない」と思っているので、むしろ人と交流したいと思っています。

コミュ障も直したいと思っていますし、少しずつ改善してきているとも思います。

 

ですが、一般的な意味での「人が好きな人間」とは

「社交的で、人と活発に交流し色々な人から好かれている人間」

ではないでしょうか?(勝手に僕がそう思い込んでいるだけ?)

それには明らかに該当しません。

 

普通に「はい、人が好きです。」と答えれば良かったでしょう。

明らかに「人が好きです」という答えを相手が求めているのは分かっていました。

 

結局、僕はこの質問には答えられませんでした。

「人が好きか?」という質問は少なくとも瞬発的に答えられる質問ではありませんでした。

 

ここまで書けば「落ちたのも当然だね」と思われるのが普通でしょう。

自分から落ちにいったようなものです。

 

まあ、インターンに受かっていればその会社で授業がはじまる10月までの空いた時間のかなりの部分を使うことになっていました。

非生産的でだらだらと怠惰な日々を送りたくないという理由と、いろいろ経験を積めそうだからという理由でインターンを受けましたが、それは本当にやりたいことではなかったでしょう。

 

むしろ、このブログの方が「いま、やりたいと思うこと」です。

そういう意味で考えれば、インターンに落ちたのが結果的に自分のためになったかもしれないなんて思ったりしています。

 

todairyunen.hatenablog.com

 

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東大で2回も留年した話(後編)

東大で2回も留年した話(前編)(中編)はこちら

todairyunen.hatenablog.com

todairyunen.hatenablog.com

 

さて、1回目の留年が決定した後の話だ。

留年生にとって、乗り越えねばならない一つの大きなハードルが存在する。

 

それは留年したことを親に報告することだ。

実際、僕はなかなか言い出すことができなかった。

 

ようやく白状したのは新年度に入る直前の3月のことである。

親に「4月からは本郷に通うの?」とかいろいろ聞かれ白状せざるを得なくなったのだ。

当然驚かれたし、怒られた。予期していなかったのが、「留年したこと」よりも「留年の相談をしないで勝手に決めたこと」にいっそう怒られたことだ。

 

留年した理由について僕は上手く説明できなかった。

「経済学部の勉強の内容が難しくて・・・」とか

「大教室でひとりで授業を受けるのが精神的に耐えられなくなって・・・」

などと説明したが、歯切れが悪く両親はうまく理解することができなかったようだ。

 

このブログのように留年した理由を詳細に文章に書いて渡せば、きちんと理解してもらえたかもしれない。しかし、当時の僕はそんなことを全く思いつかなかった。また、「コミュ障」だとか「ぼっち」だとか親に言いたくなくて、説明できなかったというのもある。

 

それから、話題になったのはこれからのことだ。もう1回進振りに参加することになる。「経済学部でなかったらどこに行くの」と聞かれた。

僕は「文学部の心理系の学科かな?・・・」と答えた。

 

文学部は基本的に文科3類からの進学がほとんどだ。それ以外の学科からは非常に枠が狭く、進学のハードルが高い。

僕の71点くらいの点数は文科2類から経済学部に進学するにはなんとかなる程度の数字であったが、東大生の平均から見ればかなり下回り、文学部の中では比較的人気のある心理系への進学は相当運がよくなければ進学は困難だったのだ。

 

親にこの無計画性を怒られた。

実際、僕が留年したのはこのまま経済学部に進学したら行き詰まるのは明らかだと思ったからであって、文学部の心理系の学科に行きたかったからではない。僕は心理系の学科の詳細について少しも調べようとしなかったし、点数についてもチラッとは見たが無視していたのだった。

 

行きたい学部なんて無かった。

親に「なんで経済学部は嫌なの?」と聞かれた。

進振りの点数的なことでいえば、経済学部に進学するのが合理的だし、卒業後のことを考えても経済学部なら色々有利だと言われた。

留年するに至った状況を説明できなかったから、親には「単に勉強をサボっただけ」と思われたのだろう。だから、その失敗を踏まえてもう一度経済学部でやり直せばうまくいくに違いないと考えるのは自然だ。

そして「勉強をサボった」のは事実なのである。

 

ここまで親のせいにするかのように書いているが、最終的な決定をしたのは僕だ。

なんとなく、もう一度やり直し、きちんと授業に出て勉強をすれば今度こそは大丈夫だろうという気がしてきた。

そして僕は「もう一度経済学部に進学する」とついに言ってしまったのだ。

 

一度宣言してしまうと、今度こそはやれる、大丈夫という楽天的な考えに支配されるようになった。

だんだん気持ちも落ち着いてきたので、行かなくなっていたサークルにも顔を出すようになった。

僕がサークルに行かなくなったせいで、会計の仕事を押し付ける形になっていた人に謝った。まだ幹部としての期間は残っていたが「もういい。幹部代が終わるまで会計の仕事は全部俺がやる」と言われた。会計の仕事を一人で抱えるハードさよりも、僕のことが信用できなくて仕事を任せたくないという気持ちが上回ったのだろう。

 

この頃、僕はやることがなかった。完全に暇にはならないようにいくつか授業をとってはいたが、それだけだ。(前期課程修了に必要な単位は取っていたので、あまり授業は必要なかった)

バイトもしなかった。バイトを始めるのが怖かったからだ。

バイトをするとなると面接があるし、新たな人間関係の環境に飛び込まねばならない。それが怖くて一歩を踏み出せなかった。

今まで、一度もバイトをしなかったわけではない。1年生の秋から約9ヵ月くらい個別指導のバイトをしたことがある。この時は、他の講師とはほとんどコミュニケーションをとらず授業を終えたら逃げるように帰った。室長からも信用されていなかったのだろう、担当の生徒がほとんどつかず週一くらいで出勤するのみだった。

 

人と関わること、社会に出ることを恐れていた時期でもあった。サークルには復帰したとはいっても、僕の活動頻度は少なかった。

今もコミュ障には違いないが、「人と関わること、社会に出ること」をそれほど恐れてはいない。むしろ、積極的に関わりたいとさえ思っている。

次の記事で書こうとは思うが、このブログを人脈作りや社会との関わり合い、自分自身のメディア 露出に繋げようと妄想している(具体的にはテレビ出演が当面の目標)

 

さて、経済学部に2回目の進学をした時のことを語ろう。

結論から先に言えば、僕はその前の年と同じ状況に陥ってしまった。

 

前年度の反省があったし、当初はきちんと授業に出席し勉強しようと思っていた。しかし、だんだんと漠然とした不安がよぎるようになる。

勉強についての不安はもちろんあるのだが、将来についての不安が大きくなってきていた。

「自分は卒業したところで、まともに就職できないかもしれない。就職したとしても、その先やっていけないに違いない。将来は絶望だ。」

こんな気持ちが大きくなっていた。

普通に就職するのではなく、別の方法でお金を儲けられないかと思った。

 

僕が目につけたのはFX(外国為替証拠金取引)である。

僕はFXにハマってしまった。気づけば授業に出席しても、スマホでチャートを見るばかりになっていた。

僕の2回目の留年理由がFXによるものかと聞かれれば、それだけとは言えない。FXをはじめる前から授業には集中できなくなっていたし、ぼっちでいることの不安感は強烈だったし、自己否定感が強くなっていた。勉強の内容についても、改めて勉強すると難しく感じたし、前年度より難しくなっているのではと思う授業もありパニックになりつつあった。

現実逃避の手段が前年度のTwitterからFXに代わっただけだ。大教室での授業となる経済学部に進学し、ぼっち確定になることが間違いだったし、前年度乗り越えられなかった勉強を2回目ならいけるほど甘くもなかった。

 

自分の人生についてきちんと考えるのをやめ、投げやりに経済学部を選択した時点ですべてが間違っていた。

FXについてだが、トランプ大統領の当選確実になったところで儲け一旦プラスに転じた。

トランプ大統領の当選確率が上がれば上がるほど円高に動いていたドル円だが、ある瞬間から急激なドル高に転じるようになる。

トランプ当選=円高、と考えていた自分はこの変化についていけずドル高になればなるほど損をしていった。結局、大損をしたところでFXを辞めた。

 

いよいよ行き詰まった。

勉強はまたしてもついていけなくなったし、FXで別の人生の道が開けるということもなかった。

僕は毎日絶望感に見舞われ、何もすることができなくなった。

 

前回留年時に「親に相談しなかったこと」を怒られた僕は親に相談した。

僕の中では2回目の留年を決めていた。留年してもう一回進振りに参加し学部を代えなければ、もう経済学部で卒業するのは無理だし退学するしかないと思ったからだ。

親にはそのように伝えたし、2回目の留年を受け入れてくれた。

 

いざ、留年を決めると開き直りの心境に達してきた。絶望感は薄れていった。

「何か行動したい」と思った。

そんな中、僕が思い浮かんだのはある人の姿だった。

同じサークルの人で自分と同期なのだが、その人が起業したらしいという話を前に聞いていたのだ。

その人のビジネスに自分も関われないだろうかと思った。

大したことを期待していたわけではない。

ただ「自分を少しでも変えたい。何か行動したい」と思っていただけだ。

 

彼に連絡する時、少し躊躇した。

なんとなく、久しぶりに彼のTwitterを覗いてみた。

少しツイートを遡ると「〇〇(僕の名前)がイロモネアに出てる w w w」

みたいなツイートを発見した。

もちろん僕はイロモネアには出ていない。単に僕に似ている人がイロモネアの観客席にいて、それが映っていただけだ。

このツイートに爆笑した僕は、数分後に彼に連絡した。

 

彼がやっていたのは家庭教師派遣事業だった。それ以外にも色々やっていたらしいが、いろいろ手をつけると結局どれも上手くいかないということで事業を絞ることにしたようだ。僕が彼のもとに訪れた時はもういろいろ士気が下がっていた時だったらしく、メンバーも基本的に僕含めて3人しかいなかった。

僕はサイトの文章作成や広告管理等に関わったが、結局この事業からは撤退することになった。

 

僕にとって大きかったのは仕事をしたことよりも、彼と色々話したり、彼が紹介してくれた本を読んだりしたことだ。

例えばベストセラーになった「嫌われる勇気」も彼の紹介で知り、僕の価値観や考え方を変容させることになった。

 

家庭教師の事業を撤退してから、彼は親の会社でリソースを使いながらビジネスをすることになったようだ。

彼はフィリピンに渡った。フィリピンだとプログラミングなどができる高スキル人材を月5万で雇えるらしい。さらにフィリピンのインターン生を使えば、格安で使うことができる。

「世界規模で見つめ、リソースを最適配分させる。それがグローバルな物の見方だ」

的なことを彼は言っていた。まあ、書いている僕がうろ覚え状態なので全然違うことを言っていたかもしれないが。

いずれにせよ、テクノロジーの進化はこれからますます国境による区別の意味を無くしていくとは思う。

 

さて、僕はAI関係のベンチャー企業インターンすることになった。

僕は文系で開発には関われないので、主に営業や広報に関わる形だ。

社長は僕のことについて、「文章を書くのが上手い」と褒めてくれた。コンペに出す書類作成まで僕にやらせるくらいだ。

 

まあ、「文章を書くのが上手い」というより「スキルが無さ過ぎて文章を書くくらいしかできない」が正しいかもしれない。

 

そしてこの度、僕はこのブログを始めてみた。

このブログを始めたことによる目標や狙っていることは、この次の記事で書く。

もし僕に興味を持ってくれた方がいれば、ぜひ連絡して欲しい。ぜひ人脈作りに活かしてみたい。

また、取材なども絶賛受付中だ。2回も東大を留年した僕はある意味で希少性があると思う。

当面の目標はテレビ出演である。「さんまの東大方程式」をはじめとして東大生が出演する番組は多い。案外、自分もいけるのではと思ったのだ。このブログが注目されれば実現するかもしれない。

何事もはじめる前から無理とは思わず、やってみることからだ。

 

(追記)

テレビ出演などとアホなことを書いていますが、現在はそのモチベはほとんどありません。

もし出演するなら、将来的に自分が何事かを成してそれが取り上げられるとか何らかの目的意識をもって出演するという感じでしょうね。

現状、何もない状態でテレビ出演するメリットはほぼないと思います。誠に恥ずかしい戯言を垂れ流してしまったと思います。

 

SS連載はじめました

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東大で2回も留年した話(中編)

前の記事「東大に2回も留年した話(前編)」で留年に繋がる要素を大体洗い出せたと思う。

todairyunen.hatenablog.com

まとめると、

1.僕が「コミュ障」「ぼっち」だったこと

→出席のある必修の授業を除いて、僕があまり大学の授業に出なくなる要因になった。

「ぼっち」でいることは大学に通う気力やモチベーションの低下に繋がった。

 

2.受験後は目標を喪失し、燃え尽き症候群になり勉強へのモチベーションが著しく低下した

→受験勉強に耐えられたのは「東大合格という高い目標を掲げ、頑張る」ことに充実を感じていたし、「受験勉強の戦略をたて、勉強面の課題を乗り越えていこうとすることはゲーム感覚に近かった」からである。

大学入学後は目標を喪失していたし、「東大に合格するためには〇〇を〇点上げなければならない。そのためには・・・」といった自分の戦略に基づく勉強ではなく、単に授業の内容を真面目にこなすという勉強にモチベーションを保てなかった。

 

3.シケプリだけで何とかするスタイルの試験対策法を確立してしまった

前期教養はそれでもいけたのだが、経済学部に進んでからそもそもクラスというものがなくなり、ぼっちであってもクラスに属していればシケプリを入手でき試験対策ができるという状態ではなくなってしまった。

また前期教養と比べ内容が重厚になるため、直前期に何とかすれば良いというスタイルでは対応できなくなった。授業に出なかったり、授業の内容を復習しないでいると遅れを取り、どこから手をつけて良いかわからなくなった。

 

とまあ、こんな感じである。

この後、時系列に沿って詳しく書こうと思う。

 

詳しく書くといったが、実はあまり書くことはない。

僕は一人でいる時間のほとんどをネットサーフィン等の非生産的なことに使っていて、正直書くべき内容のものがあまりないし、具体的に何をしていたかですらあまり覚えていないのだ。

そうとは言っても、現在入学してから3年4ヵ月の4回生であり、いくら自堕落な生活に陥っていたとはいっても何もしていなかったわけではない。(それが生産的であるかは別にして)

 

留年前のことについてもう少し語ろう。

いちばん辛かったのがALESAの授業である。

ALESAは外国人の先生による英語の授業で、英語で話し合ったりしないといけない。

元々、英語はあまり得意ではなく英語力では東大最低クラスでありコミュ障の僕は「英語」と「コミュニケーション」というダブルパンチをくらってどうしようもなくなっていた。

ALESAの授業が嫌でしょうがなかった僕は、なんと自分が発表しなければならない授業の回に欠席したことがあるくらいである。

なお、翌週には発表をしたし、先週は体調不良でしたということで何とかなった。

ALESAはギリギリ可で切り抜けた。

 

クラスでぼっち状態は続いていたが、サークルの方では徐々になじみつつあった。

テニサーは飲みさえ乗り越えられれば何とかある程度馴染められるのである。

飲みは何も考えず、ただ飲めばよいのだ。

飲んでしまえば、テニサーのアホみたいなわけわからんテンションも楽しく思えるようになるし、どうにでもなるのだ。

結局、コミュ障はほとんど改善できなかったしサークルの人達と深い付き合いはしていないから本当に馴染んだかと言われると微妙だが、これにより「真性ぼっち」は回避した。今回はサークルの話は主テーマでないのでこのくらいにするが、後で記事を書こうかとは思う。

 

さて、必修の授業はALESAも含めてギリギリで単位をとったし、総合科目など必修でない授業もシケプリを使って乗り越えた。

進振り参加まではごく普通だった、ということもできる。

 

東大生や東大出身でない方は進振り(進学振り分け)について知らない方が大半だと思うので軽く解説しておこう。

東大では2年生まで全員が教養学部に所属することになっている。そこから2年生の夏までの成績をもとに3年生から所属する学部が決定されることになっている。

この制度は「リベラルアーツ教育」とやらのためで、要するに大学入学後いきなり専門課程に入るのではなく様々な分野の学問を学んで教養を身に着け、その上で自分の進む専門分野を決定してね、みたいな意図によるものだ。

 

自分の場合は進振り前は教養学部文科2類に属していた。この学科の大半は経済学部へと進学する。経済学部には文科2類の枠が大きいためだ。

自分も例に漏れず経済学部への進学を決めていた。

経済学部への進学はこの年の進振りで文科2類の枠は68点くらいあれば進学できて、自分は71点くらいだったため経済学部への内定が決まった。

 

さて、ちょっと話は変わるが留年の説明をするのに書いておいた方が良いことがあるので説明する。僕は一人でいる時ネットサーフィン等をしていたと書いたと思うが、この頃ハマっているものがあった。

それは「ネトウヨ活動」である。(現在の僕は政治的には無党派で中道なのではないかと思う)

 

結局、リアルでの活動は充実しないからネットで憂さ晴らしをしていたのだ。

僕が最初に経済学部への進路選択をした2015年の夏ごろ、政治の世界では安保法案を巡って吹き荒れていた。

ネトウヨだった僕は当然、安保法案賛成派であり、ネトウヨ活動用のTwitterアカウントを作って色々発言していた。

発言していたといっても、きちんとした法律知識があるわけではないので、僕のツイートは安保法案の中身に関することよりも反対派勢力の「サヨク」を叩くものが多かった。

当時はSEALDsが安保法案の反対運動を活発に行っていた。僕のツイートはSEALDsを叩く内容が多くなった。

SEALDsを叩いているとフォロワーが増えたり、リツイートがいっぱい貰えたりした。これがリアルでは充実できない僕の承認欲求を刺激し、のめり込んだ原因だと思う。

 

2年生の秋、経済学部へ進学(正確には経済学部に内定という形だが、この時期から経済学部の授業が始まる)した僕だが、経済学部は人数が多く大教室で授業を行い出席がなかったのであまり授業に行かなくなってしまった。

確かに授業に行かないことによる不安もあったが、「ぼっち」で授業を受け続ける苦痛の方が大きかったし、今まで何とかなってきた経験があるので甘くみていたのだ。

 

しかし、経済学部に進んでからはクラスというものがなく、今までのように勝手に回ってくるシケプリでどうにかするということができなくなってしまった。

さらに言えば、ぼっちの自分には情報が来ない。つまり、いつ小テストがあるとかの情報も把握できなくなっていた。

授業の内容も前期教養に比べればはるかに難しい。

僕は誰かに助けを求めなければならない状況に陥っていたが、コミュ障ぼっちの自分にはどうすることも出来なかったのである。むしろ、教室内で昔のクラスの人など知り合いを見かけたら、なるべく目を合わせないようにしていた。

 

そんな折、僕はネットの世界で現実逃避をしていた

SEALDsを叩けばリツイートがいっぱい貰える。賛同のコメントもたくさん貰える。

僕は授業に出た時でも、大教室の後部座席でTwitterばかり見ていた。

 

いつしか、僕は不安で仕方がなくなった。現実逃避をするためにより長い時間Twitterをするようになった。完全に悪循環である。

僕は授業についていくために、何をどこから勉強すればよいかもわからなくなっていた。勉強や授業について考えれば考えるほど鬱になるので、なるべく考えないようにしていた。

 

12月になるといよいよ試験のことを意識せざるを得なくなっていた。

どうしようもなかった。教科書を開いてみると勉強しようという意欲よりも猛烈な不安に襲われ、勉強できる状態ではなかった。さらに教科書がアテにならないプリント主体の授業などは、授業に出ていないと対策のしようがなかった。

 

僕はこのまま経済学部でやっていくのは無理だと悟り、留年してもう1回進振りに参加し学部を変えようと考えた。

この頃からサークルにも行かなくなった。サークルにいく余裕のある精神状態ではなかったからだ。サークルでは2年生になると幹部になり、各々仕事を任せられる。僕は会計の役職についていたが、ほっぽり出し他の人に仕事を押し付ける形になってしまった。(会計は僕を含めて二人いたので、もう一人が全部担うことになった)

 

結局、試験を受けることすらしなかった。

1回目の留年が決定した

 

東大で2回も留年した話(後編)に続く

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東大で2回も留年した話(前編)

はじめまして。

 

なんとなくブログを始めてみた。

僕は現在、東京大学の2年生であり、4回生だ。つまり、2回の留年を経験しているというわけだ。

長くなるかもしれないが、2回留年した話を語ろう。

 

1年生の時、僕は普通の学生だった。ここでいう「普通」とは「取らなければならない単位はきちんと取得し、ちゃんと大学に通っていた」という意味だ。

しかし、この頃から後の留年に繋がる要素はいくつかあった。

 

まず、僕がクラスの中で「ぼっち」だったという点。僕はいわゆる「コミュ障」にカテゴライズされる人間であり、昔から人付き合いが苦手だった。別に人が嫌いだったり、対人恐怖を覚えたりするわけではない。基本的に何を話したらよいのかがわからないのだ。

趣味といえるものがないのも話すことがない原因だろう。音楽とか芸能には関心が持てない。オタクっぽい趣味を持てばよかったかもしれない。しかし、オタクグループのようなものにすら入れなかった「ぼっち」の自分はオタク趣味にはまることもなかった。

要するに中身がないのである。

 

いちばん聞かれると困る質問が「お前、普段何をやっているの」だ。記憶を遡る限り、この質問にまともに答えられた試しがない。

「寝てるかな?・・・」とか「ネットサーフィンとか・・・」と言って後は相手が自分に関心がなくなるまで待つばかりだ。

こんな態度では友達ができるわけないだろう。

 

こんな僕でも熱中したものはあった。それは「受験勉強」である。

中身がなく、つまらない人間だと自覚していた僕は何か誇れるものが欲しかった。

東大という肩書きは、空っぽな自分を覆い隠せるだけのアクセサリーだと思っていたのだ。

 

毎年、東大に何十人も受かるような進学校に通っていたというのも「東大に行こう」と決意した大きな要因である。

高1くらいの時、学年主任が「やりたいことがないなら東大に行け」と言っていた。

この頃から東大を意識し始め、高2の秋くらいに「受験生宣言」をして東大合格に向け本格的に受験勉強を開始することを決意した。

(なお、「受験生宣言」とはだれか人前で宣言したものではなく自分の心の中で勝手に決意しただけの話だ)

 

受験勉強を開始した時の僕は実に生き生きしていた。

「やっと目標を見つけた」と思った。実際、勉強すればするほど成績が上がるのだから愉快だった。

しかし、勉強すること自体が好きなわけではなかったのだ。東大という高い目標を設定し、それを達成するための勉強戦略を考え、実行に移した結果学力がグングン上昇するのが爽快であっただけだ。

むしろ受験勉強は「ゲーム感覚」だった。

壁にぶつかったら、どうやってこれを乗り越えられるかを考え、「勉強」という名のレベル上げ作業をする。そんな感覚だった。

 

これは受験勉強について語る記事ではない。

だから、受験勉強についての話題はこのくらいにするが、これだけで受験勉強終了後の僕がどのような状態になったかはご理解頂けるだろう。

( 受験勉強のエピソード等はこちら↓)

todairyunen.hatenablog.com

東大合格発表の日、自分の番号を見つけた僕は嬉しかったのだが、同時に冷めた気持ちも存在していた。

この日は「あれ、なんで気持ちが冷めているんだろう」と自分でも理由が分からなかったが、数日もすれば理由ははっきりした。

 

一言でいえば燃え尽き症候群である。

東大に合格してしまったら、その後これから何をしてよいのかわからなくなってしまったのだ。元々、中身がなく空っぽだった自分は東大合格という目標物を失うと突如として宙に投げ出されることになった。

このため、東大に受かった後の僕に勉強に対するモチベーションは著しく低下した。

これも留年に繋がる重要な要素である。

 

同級生などは大学入学までの空いた期間に、友人らと遊んだり旅行に行ったりして最後の高校生活を楽しんでいた。

あるいは、SNSなどを通じながら東大に合格した者同士で交流しているようでもあった。

しかし、僕は何もできなかった。家でぐうたらしているばかりであった。

そうしているうちに気持ちが沈んでいき、予想通り大学入学後上手いスタートを切ることはできなかった。

入学式の日、クラス写真というものを撮るのだが、僕はその写真からも逃げてしまった。

(東大の入学式は、オリ合宿などで既にクラスの交流が終わった後に行われる。オリ合宿には参加したが、やはり溶け込むことはできずこの段階でクラスの人達を避けようとする気持ちが生まれていた)

 

僕は授業が終わったら速攻で図書館に行き、次の授業まで時間をつぶすというのが当たり前になっていた。

図書館に行っても、勉強をしたり本を読んでいたりしているわけではなかった。

スマホをいじったり、寝たりなど非生産的な時間を過ごしていた。

 

しかし、僕はこのままで良いとは思っていなかった。なんとか「まともな」大学生活に修正しようという気持ちはあった。

クラスでは上手く溶け込むことはできなかったが、その他の集団ならやっていけるかもしれない。僕はサークルを探していた。

 

僕はテニスサークルに入ろうとしていた。

一般にテニサーは僕のような「コミュ障」とか「ぼっち」には相容れないだろう。実際にそうだとは思う。

しかし、僕は中学・高校時代にテニスをやっていたというのと(幽霊部員ではあったが・・・)、あえてテニスサークルのような環境に身を置けばコミュ障が改善されるのではないかという淡い期待を持っており、テニスサークルに入りたいと思っていた。

 

テニサーに入りたかった理由は、あともう一つある。隠してないでさっさと言ってしまったの方が良いだろう。

テニサーにはかわいい女の子がたくさんいるからだ。

僕は中高一貫の男子校出身だ。さらに、ここまでの文章を読めば概ね察してもらえるだろう。

わかりきっていることに説明は不要である。次に進もう。

 

東大のテニスサークルの新歓は「セレク」という制度がある。

テニスサークルはけっこう入部希望者が多かったりするので、「テニスの上手い奴」と「ノリが良い奴」を選んで入部させるためにセレクションを行うのだ。

 

僕はセレクションというものを受けたが、落ちまくった。

幽霊部員であったとはいえ、中高テニスをしていたし新入生の中では比較的テニスができる方だっただろう。しかし、テニサーというものは基本的にはコミュ障お断りであるようだった。

それでも、入部を許可してくれたサークルもあった。僕はそこに入ることになった。

 

いきなり話が変わってしまうようだが僕はその頃右目が白内障だった。

白内障に気づいたのは、受験が終了した後、眼鏡を作りにいった時のことだ。右目の視力が測定できないと言われ、眼科にいったところ白内障と判明した。

片目のみだったので、受験の時は気づかなかったし、白内障のせいで受験に支障が出ることもなかった。そのため、白内障だと判明したのが受験終了後で良かったとは思う。

それでも、白内障という事実は受験後および東大入学後の僕の気持ちを暗くさせるのに後押しした。

4月の終わりに白内障の手術をし、無事右目も見えるようになったのであるが、医者から目の保全のため手術後1ヵ月は運動しないように言われた。

 

せっかくテニスサークルに入ったにも関わらず、いきなり初っ端の1ヵ月テニスが出来なくなってしまったのだ。

普通なら辞めていたかもしれない。しかし、偶然にも入ったサークルには高校の同級生が2人いたのだ。そのうち一人は高校時代にもそれなりに話したことのある人だった(なお、彼とは示し合わせてサークルに入ったわけではない。本当に偶然である)

彼らのおかげで僕は入ったサークルを辞めずに済んだと思われる。

 

さて、クラスの方では僕は孤立したままであった。サークルの方は白内障の手術後1ヵ月、すなわち5月の終わりまでほとんど活動に参加できなかった。

僕は正真正銘大学ぼっち」になってしまった。

 

必修の授業にはもちろん出た。それ以外の授業には出なくなっていったしかし、これは僕に特有の現象ではない。東大の前期課程ではクラスでシケプリというものを作るので、それを見れば授業に出なくても最低限単位を取ることはできたからだ。

他の人は授業に出ない代わりに遊んだり、バイトをしていたかもしれない。僕はというと遊び相手がいなかったし、バイトをする気にもならなかった。ただ授業に出ないだけで、その時間はスマホをいじったり寝たりなど非生産的な時間を過ごしていた。

 

これは後の留年に繋がる決定的な要素だった。

クラスでシケプリが作られるうちは、授業に出ないでもそれを使って試験対策をすることができた。クラスが無くなってしまった時、僕は一人で試験対策をすることができなくなってしまったのだ。何から手をつけてよいかすら分からなくなかった。

 

さて、文字数が3000字を超えてきた。ここまでで留年に繋がる要素は解説できたと思う。これ以降の話は次の記事に譲ろう。

 東大で2回も留年した話(中編)に続く ↓

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